特別な表現を求めて

毎日、感動して生きていきたいです。 世の中の表現作品の感想や考察を不定期で掲載しています。

web制作に関わる人は、この本を絶対読んだ方がいいと思います。
実務をしながら何年もかけて覚えることが、1冊で学べてしまいます。

だから、そのデザインはダメなんだ。 WebサイトのUI設計・情報デザイン 良い・悪いが比べてわかる


■web制作に関わる方は必読の書


僕はweb制作を行う会社で働いていたのですが、実際の現場で最も必要になってくる能力は、
「何がダメで」
「どうすれば良くなるのか」
この2つが分かることです。

「何がダメか」を知るためにアナリティクス画面と長時間にらめっこしたり、
「どうすれば良くなるのか」を知るために競合サイトを長時間見つめ続けたりします。

そうして、やっとひとつの改善策を出して、デザイナー、コーダー総動員で何日もかけてやっと直すのです。

つまり、実務経験の中で覚えていくととにかく時間が膨大にかかっていくのです。

本書の中には、もともとのページと、改善したページの例がひたすら出てきます。
ひとつ直すのに何時間もかかっているのに、それを1分くらいで理解できるような作りになっているのです。

「何がダメで」
「どうすれば良くなるのか」

このパターンの知識がひたすら掲載されているので、1冊読めば長年web制作に関わってきた人間と同じような知識が身に付きます。

何年もかけて覚えることが、1冊で学べてしまうのです。
こういう本は、ぜひシリーズ化してほしいところです。


だから、そのデザインはダメなんだ。 [ 香西睦 ]
だから、そのデザインはダメなんだ。 [ 香西睦 ]



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この漫画はあまり有名でないけれど、大好きな漫画で手元に置いて何度も読み返しています。
ファンタジー世界の中にセカイ系の要素が含まれたような作品です。

全9部作のシリーズとしての予定があるみたいですが、2012年に刊行された4部で止まっておりまして、ぜひ続きを描いていただきたいと心待ちにしております。

世界の終わりの魔法使い (九龍コミックス)


■作品概要

『世界の終わりの魔法使い』は、科学が滅んだ時代の魔法の村を舞台にした西島大介によるファンタジー作品です。
第1作「世界の終わりの魔法使い」で完結予定でしたが、続編が発売されることが決まり、第2作「恋におちた悪魔」、第3作「影の子どもたち」が3部作として刊行されました。
3部作において主人公のサン・フェアリー・アンとムギの物語は完結。その後、第4作「小さな王子さま」が刊行され、サン・フェアリー・アンとノロ王子の物語が描かれています。
第1作~第3作は書き下ろし作品。第4作は[モーニング・ツー]2007年5号~2008年9号にかけて連載されました。
オーディオドラマ化もされていまして、2013年7月にNHKFMの「青春アドベンチャー」にて放送されました。





■ストーリー
1000年前の魔法大戦で魔王と呼ばれた魔法使いが閉じ込められている村では、魔法使いの力で村の住民たちは魔法が使えるようになっていました。村に住む少年ムギはただ一人なぜか魔法が使えず、科学の力で空を飛ぼうと日々試みています。ある日、魔王が閉じ込められている刑務所を囲う森に入り込んでしまったムギはそこで、魔法使いの少女サン・フェアリー・アンと出会います。二人の出会いをきっかけに世界は変わっていき、ムギは世界の終わりと戦うこととなります。


■感想
『世界の終わりの魔法使い』はファンタジー世界の中に、セカイ系の要素が含まれたような作品です。
第1部が発売されたのは2005ねんですが、当時はエヴァンゲリオンの影響でセカイ系の作品が世を席巻しておりました。
今読み直すと当時のトレンドの影響があるように見えて、一部懐かしさのようなものも感じます。
懐かしさとは、この頃はこういうセカイ系の作品多かったよなぁ、という感じです。
セカイ系がトレンドとなっていない世の中になってきたことも、5部以降が刊行されないことと関係しているのかもしれません。

でも、『世界の終わりの魔法使い』はただのセカイ系トレンドに乗っかっただけの作品ではありません。
魔法とボーイミーツガールという不変のテーマが根底にあるファンタジー作品です。
そこに、トレンドの要素を付け足しているわけです。
セカイ系だけをテーマにした一過性のブームに終わる作品とは感じません。ずっと手元に置いておきたい、そんな作品です。

トレンドでなくなったセカイ系をどう扱うかという表現や、セカイ系に代わる新たな最新トレンドを追加したりして5部作以降をぜひ描いていただきたいところです。

世界の終わりの魔法使い [ 西島大介 ]
世界の終わりの魔法使い [ 西島大介 ]


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機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)
機械・春は馬車に乗って (新潮文庫) [文庫]


■史上最高の短編小説


もし、史上最高の短編小説は何か?と聞かれたら、即答で横光利一の「機械」と僕は答えます。

僕は大学時代にこの小説に出会い、その新しさと初めて見るような奇妙な文章に衝撃を受けました。
今見ても新しさと奇妙さが漂うのですから、1930年にこの小説が発表された当時の読者の驚きは想像に難いです。

まるで人でない何かによって書かれたような、そんな小説です。


■現代でもなお新しい実験的表現の正体


「機械」のあらすじやテーマ性などは長くなるので割愛し、今回は、「機械」における第四人称を用いた表現について分析いたします。

というのも、おそらくこの第四人称に関しての表現は理解することが難しいため、きちんと分析や説明がされていないためです。

まず、第四人称の定義ですが、第一、第二人称を中心としたコンテクストの中に第三人称がある。その外側にある人称が第四人称です。

「機械」は主人公の「私」が過去の「私」について一人称で語っていくという形式で進みます。

この場合、過去の「私」は一人称としてコンテクストの内側の存在です。
現在から過去を語る「私」は時間軸においてコンテクストの外側の存在なので、四人称となります。

本来、第四人称の立ち位置にいる存在は、第一~第三人称で作られるコンテクストの内側の世界から直接的な影響を受けません。
第三人称と第四人称は、映画とそれを見る観客の関係です。つまり、はっきりと区切られているのです。


コンテクストの外側にいる四人称が内側からの影響を受ける

この「機械」の恐ろしいところは、無関係のはずのコンテクストが、第四人称である「私」へ影響を与えてくるという点です。

「私」が語る過去において、登場人物が死んでしまいます。

眼が醒めると三人の中の屋敷が重クロム酸アンモニアの残った溶液を水と間違えて土瓶の口から飲んで死んでいたのである。私は彼をこの家へ送った製作所の者達がいうように軽部が屋敷を殺したのだとは今でも思わない。
ここで、「今でも思わない」という記述があるので、第四人称の「私」が語っている時間軸では、まだ真犯人ははっきりしていないということが分かります。

ここから、「私」は真相についてあれこれ考え出しますが、その中で自分自身が真犯人である可能性もあるということに気づくのです。

いや、全く私とて彼を殺さなかったとどうして断言することが出来るであろう。
(中略)
そうだ。もしかすると屋敷を殺害したのは私かもしれぬのだ。

コンテクストの内側で語られてきた物語が、コンテクストの外側にいた私に影響を与えてきたのです。
第四人称の「私」の時間軸においては「私」は殺人の容疑もかけられていませんし、別の人物が真犯人として疑われています。
ですが、コンテクストを語ることによって、「私」が容疑者になっていき、語り手の「私」にその影響が及んだのです。

映画とそれを見る観客のようにはっきりと分けられているはずだったものが、そうではなくなってしまったのです。

私はもう私が分らなくなって来た。私はただ近づいて来る機械の鋭い先尖(せんせん)がじりじり私を狙っているのを感じるだけだ。誰かもう私に代って私を審いてくれ。私が何をして来たかそんなことを私に聞いたって私の知っていよう筈がないのだから。
これが小説のラストです。

「私」はコンテクストの外側から、過去というコンテクストの内側の「私」を語っていました。
小説のラストでは、時間軸によって分かれていた第一人称と第四人称の「私」が時間軸が追い付いてくることによってひとつになりました。
すると、もともとコンテクストの外側の「私」にはなかった殺人者の容疑が生まれてしまったのです。

映画とそれを見る観客のようにはっきりと分けられているはずだったのに。

つまり、第四人称の表現を実現し、第四人称の定義の矛盾(もしくは例外か)が表現されているのです。

機械/春は馬車に乗って改版 [ 横光利一 ]
機械/春は馬車に乗って改版 [ 横光利一 ]


年末年始、紅白をはじめとした様々な番組にこれでもかと出演していたピコ太郎さん。

「PPAP」を何回も強制的にテレビで聴かされましたが、やはり感想は「面白くない‥!」。
ネット上でも同じような思いを抱いている人はたくさんいるみたいです。

PPAPつまらない、面白くない、飽きた…実はウケて無い!?それでも流行る理由

ピコ太郎の『PPAP』がつまらない理由を徹底分析してみた

ピコ太郎が面白くない?何が面白い?

上記は一例で、他にも山ほど出てきます。

ブログを書くにも労力がいりますので、おもしろいってことを書くならまだしも、おもしろくないってことを書かせるには相当なエネルギーが必要なので、逆にすごいな、とも思うのです。

Youtubeでの動画は再生回数1億回を超えて、まだ伸び続けております。




■なぜこんなに不評なのにブームになっているのか?


ということで、本題に行きましょう。

そもそもの発端は、ジャスティン・ビーバーが自分のSNSで「この動画おもしろい」と紹介したことからブームに火がついたみたいです。

ジャスティン・ビーバー
ジャスティン・ビーバー

これだけ聞くと、むしろジャスティン・ビーバーが凄いんじゃん、とも思うのですが‥。
(余談ですが、このブログを書くまで自分はジャスティン・ビーバーは女性だと思い込んでいたのは秘密です。)

では、ジャスティン・ビーバーのミーハーなファンが大挙してyoutubeのピコ太郎の動画を再生しただけなのかというと、実はそうでもなさそうなのです。

自分の知り合いの外国人は、「ピコ太郎は最高に面白い」と言っていました。

つまり、「PPAP」は外国人にとっては面白いが、日本人にとっては意味不明なネタなのです。


■具体的に「PPAP」の何が外国人にウケたのか?



ブログを書くためにこっそりと色々調べた結果、「PPAP」が外国人にウケた理由は大きく2つに分けられると考えました。

  1. 見た目と歌い方がなんとなくおもしろい
  2. 歌詞がおもしろい
この2点です。

まず、1について。
あるまとめサイトから引用させていただきます。

ペンパイナッポーアッポーペンはもともと外人から見て面白かったものだから
面白さがわからない人は変な外人が

「ミギテニ スシ ヒダリテニ シュリケン…ン゛ン゛ーー!!!! ス シ シ ュ リ ケ ン !!!」
 とか言ってんのを想像して貰えばなんとなく日本でもウケそうなのわかるでしょ

 出典 「PPAP」の面白さがわからない人にも理解できそうな例えが話題に
ようするに、謎の日本人が変な服着て変な発音で英語の歌を歌ってるのが何となくおもしろい、ということですね。

これは何となく分かる気がします。

そして自分たちが見てもおもしろく感じないのは、「外国人から見た変な日本人」というのは、同じ日本人からしたら面白くないからでしょう。

例えば音痴な人が、他人の音痴な歌を聞いても笑えない感じに似ているかと思います。


次に2の「歌詞がおもしろい」についてです。

ペンとアップルを足すと(「Ahn!」)「アップルペン」ここまではいい。

ペンとパイナップルを足すと(「Ahn!」)「パイナップルペン」これもよしとしよう。

 ただ、これを両手で持ってくっつけた(「Ahn!」)ところで、左から順に読んで「ペン・パイナップル・アップル・ペン」にはならない。文法的習慣でいうならこの物体は「アップル・パイナップル・ペン」であるはずだ。

出典 PPAPがなんで面白がられているのか、言語の視点から説明するよ。

「アップル・パイナップル・ペン」となるのが普通の言語感覚なのだけれど、それがむしろおかしい。そこにピコ太郎が気付いたことが、面白いということです。

日本語で育った日本人からしてみると意味が分からないですが、日常的に英語を使う外国人にとってみると、「確かにおかしいよね!」という感覚が沸き上がって笑ってしまうのでしょう。

ここまで書いてきて、このやり方って誰かと被っているなと思いませんか?

僕もブログを書いていて気づいたのですが、
厚切りジェイソンです。

厚切りジェイソン
厚切りジェイソン

  1. 典型的な外国人のしゃべり方と風貌で日本語を使う
  2. その国の言葉で育った人は気づかないようなおかしな点を指摘する
「漢字はムズかしい!」
「一」「二」「三」と横棒続きなのに次がいきなり「四」なのは何でなんだよ!

これ、日本語があまり話せない外国人が聞いてもおそらくおもしろくないと思うんですよね。
我々は思わず笑ってしまいますが。

ピコ太郎の「PPAP」の笑いもこういうことなのではないでしょうか。




■ピコ太郎は凄い


結論としては、「ピコ太郎は凄い!」と僕は思います。

というのも、ピコ太郎の中の小坂大魔王は純粋な日本人なのですが、「PPAP}が外国人にウケると計算して作っているはずなんです。
日本人向けのライブネタではなくてyoutubeで外国人向けに公開しているのがその証拠です。

小坂大魔王は青森県出身の日本育ちですから、本人も感覚的に「PPAP」のおもしろさはおそらく分からないと思うんです。
つまり、自分の笑いの感覚ではなく、笑いが起きるメカニズムを計算して、それだけでネタをやり切って計算通りに笑わせてしまうというところが凄いんです。

お笑い芸人になる人というのは自分のおもしろさに自信を持っていると思うので、普通は自分の笑いの感覚というものを入れたいと思うのですが、それをあえて捨てているんですね。

まさに努力の賜と言えるネタだと思います。


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今までで最も再読した小説は、村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」です。10回くらいは再読しました。
僕にとっての良い小説とは、再読してしまう小説だと考えています。そういった意味では、今まで出会った中で最も良い小説と言えると思います。

風の歌を聴け (講談社文庫)
風の歌を聴け (講談社文庫) [文庫]


■物語に散りばめられた謎


この小説の良いところはどこかと言うと、大したことが起きそうで結局は何も起きないというところではないでしょうか。

物語の中には色々な謎が散りばめられています。
それについて読者によって様々な考察がなされています。思いついたままに列挙すると、

  • デレク・ハートフィールドは存在しない
  • 4本指の彼女が子供を作った相手
  • ところどころに出てくる動物の意味
  • 鼠が会ってくれと言った女の子について
  • 「火星の井戸」と全体との関係

等々、挙げていくときりがないくらいです。


こういった謎については、「風の歌を聴け」で検索すれば様々な考察が出てきますので、気になる方は見てみてください。ここではあえて考察しません。


繰り返しになりますが、この小説の良いところは、大したことが起きそうで結局は何も起きないというところです。

起こることと言えば、バーで毎日ビールを飲んで、女の子と出会って、別れて、友人の悩みに付き合って、それくらいです。



■優れた小説である理由


薄っぺらだという人もたくさんいれば、深いと言う人もいて、考察を繰り返し考え込む人もいて、文章の心地よさに惹かれる人もいる。


物語に散りばめられた謎について考察を繰り返している人が答えを提示するけれど、それが正しいように見えて、だけどしばらく考えると唯一の正解ではないような、そんな風に感じる作品です。


100人が読んだら100通りの解釈を持てるような作品、だから凄いのです。


10回も再読しているので、僕なりに謎について思うことや、作品の解釈はありますが、それはひとつの解釈に過ぎなくて、ここでその解釈を展開することにはあまり意味がないように思えたのであえて解釈はしません。


実際に、10回の再読に耐えられて、今も11回目を読みたくなっている、それが答えです。とてつもなく優れた小説

なのです。



■現在の村上春樹作品との違い


僕は「羊をめぐる冒険」までの村上春樹の作品は大好きなのですが、それ以降はあまり好きではありません。
「羊をめぐる冒険」までは、1行の中に何行分もの意味や謎や葛藤や無力感が詰め込まれているような文章なのです。

それ以降の小説は、1行に1行分を詰め込んだような、そんな文章に感じます。


ただ、「ノルウェイの森」や「1984」の方が売れているところを見ると、世間の大勢の人達は1行に1行分の表現の方が読みやすいのかもしれませんね。

僕は退屈に感じてしまって、途中で読むのをやめてしまいましたが。



他の人が何行もかけないと伝えられないことを、1行で表現してしまう、そんな表現が僕は好きです。


1行の中に最もたくさんのものが詰め込まれていると感じる作品が「風の歌を聴け」です。


心地よい文章表現、大したことが起きそうで起きないストーリー、考察のためのそれらしい問題を提出して答えを明示せずに繰り返し考えさせる、作者の重要な心の奥底に少しだけ触れたような気になれる――。


小説とは、これで良いのではないかとも思うのです。



風の歌を聴け [ 村上春樹 ]
風の歌を聴け [ 村上春樹 ]

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[まとめ買い] All You Need Is Kill(ジャンプコミックスDIGITAL)
All You Need Is Kill(ジャンプコミックスDIGITAL) [Kindle版]

■第四人称が表現として実現された作品

第四人称とは、第一から第三人称がコンテクストの内側だとすると、外側にある視点。
芝居でいうと、観客の視点です。

観客はどうしてコンテクストの外側にいるかと考えていくと、コンテクストの仕組みを知っているからです。
芝居であるとすると、観客は決められた流れ(ストーリー)を知っている者もいます。繰り返し見ている者です。

詳しくは前回のブログを見てください。

僕はゲーム(ever17)以外で、第四人称を効果的に使った表現作品は、今のところまだ無いと思っていました。

文学作品では横光利一の「機械」や、太宰治の「道化の華」で第四人称を表現作品に実験的に使用していますが、ever17ほど鮮やかな表現として昇華されているとは見えませんでした。


■ループする登場人物=四人称の視点

ever17では、ブリッツウインケル=プレイヤーが作品に介入する、という形で、四人称が表現作品の中で鮮やかに昇華しました。

ゲームをゲームであると知っており、ゲーム内の時間を超越して生きているひとつ上の次元の存在が四人称です。

「All You Need Is Kill」においては、主人公は一度死を迎えると30時間前の時間に戻されて、ループし続けます。
そして、同じ日常の出来事が繰り返されるのです。


All You Need Is Kill


同じ出来事が強制的に繰り返されていくのですが、主人公の行動によって起こる出来事は少し変わります。
これにより、主人公は30時間ごとに死を繰り返しながら、少しずつ自分が生き残る方へと物語を変えていくのです。

All You Need Is Kill2

第四人称に必要な、物語を物語と知っているということと、繰り返し見るということ、この二つの条件を主人公は満たしたのです。

作品における読者は第四人称の存在でありますが、物語に介入することができません。
「All You Need Is Kill」の主人公は物語の登場人物でありながら、読者と同じ次元の能力を手に入れてしまったのです。

第一~第三人称のコンテクストの内側にありながら、第四人称へと覚醒した主人公は、読者と同じ次元の意識を持ちながら物語に介入できる存在と言えます。


■第四人称のキャラクターの共存は可能か?


第四人称の覚醒を得た主人公は、自分の物語内における運命(死)と戦うことを決心し、ループを繰り返し少しずつ運命を変えていきます。

ここに登場したのが、同じくループを繰り返している第四人称へと覚醒しているヒロインです。
二人は協力して物語における死の要素を全て排除するのですが、ループは終わりません。

All You Need Is Kill4

これはどうしてなのでしょうか?

物語内では設定上の説明がありましたが、それはここでは無視しましょう(笑)。

第四人称へと覚醒した存在が二つあった場合に、その共存は可能なのでしょうか?

主人公は物語内の第一人称でありつつ、第四人称へと覚醒しているため、意識は第四人称として物語の外側にいるのですが、肉体は物語の内側にあります。
第一人称の肉体が死んでしまうことと戦っており、コンテクストの内側での第一人称としての生を望んでいるのです。

物語における第四人称の覚醒は、第一人称という肉体があって初めて実現できていると言えます。

主人公もヒロインも、第一人称としてでなければループから抜けられないのです。
第一人称としてでなければ物語に取り残されてしまうからです。

All You Need Is Kill5

主人公の第一人称として始まったこの物語において、物語内における運命(死)を変換したとき、主人公は第四人称から第一人称としてコンテクストの内側に戻ります。

第四人称を経験しているヒロインは、第一人称としての肉体がないためその世界では生きられないのです。

共存していくためには、
・お互いが第四人称であり続けられるようループを繰り返して物語を前に進めない
・ヒロインの第一人称の物語を進める(第四人称の主人公は生きられない)

パラレルワールドのように、すべてを提出する表現方法もあるかと思います。
そうすると、読者がその物語の終わりが確定しないというループから抜けられませんね。

All You Need Is Kill6

「All You Need Is Kill」においては、ヒロインの望みによって他の選択肢を消しました。
これにより、主人公も、読者も、ヒロインの望みによってループから救われたということになります。

案外、キャラクターの意志というものは読者や作者の意志よりも重要なのかもしれません。

ヒロインが死なないためにはどうすればよかったのでしょうか。
ループの繰り返しと、主人公の死はヒロインが拒否するので無理なので、それ以外の方法でないといけません。

All You Need Is Kill 1【電子書籍】[ 桜坂洋 ]
All You Need Is Kill 1【電子書籍】[ 桜坂洋 ]
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消えるコトバ・消えないコトバ
消えるコトバ・消えないコトバ [単行本(ソフトカバー)]


客観的思考(アウトサイダー思考)と、主観的思考(インサイダー思考)がテーマのエッセイ集です。

エッセイ集なので、中身の薄いものや濃いものなど様々あります。エッセイ集とはそういうものでないかと思うので、その中から自分の心に残るものを探していけばいいのだと思います。

■第四人称

外山滋比古は第四人称 」という書籍も出版しており、そちらでは文法的に第四人称について言及していたましたあ、本書ではさらに分かりやすくなっています。

・第一人称、第二人称、第三人称をまとめてひとつのコンテクスト考える
・その内側では独自の倫理が働く
・コンテクストの外側にも人間がいる。それが第四人称である
・第一から第三人称と第四人称の間には大きな仕切りがある。続いておらず、切れている。

著者はこれを芝居の舞台を例に説明しています。
第一から第三人称は部隊の上で展開され、第四人称は客席の視点です。

内側と外側という視点で考えることにより、分かりやすく説明されています。


■第五人称

第四人称が舞台の上の芝居を客席で見る視点のことだとしたら、
新聞の発行後、何十年もしてからそれを読む人のことを第五人称の読者であると考えられる、と展開されていきます。

第三人称と第四人称ははっきりと区切られているが、第四人称と第五人称はその区切りが明確ではありません。


■文章作品は第五人称でどのように変わるか?


この本では、第四人称と第五人称の存在を定義して、それをどう活かすべきかは、自分で考えなさい、と言わんばかりに何も言及されていません。

そこで少し考えてみたいと思います。

第四人称と第五人称は観客と読者の視点です。
この視点は、内側のコンテクストに介入できないという特徴があります。

文学作品ではコンテクスストの内側で最初から最後まで完了するので、介入できないとその視点を活かすことはできません。

第四人称とは何かというと、コンテクストの仕組みを知っている視点、ではないでしょうか。
つまり、「これは芝居である」と知っている視点です。芝居には、脚本という決められた流れがあります。
第四人称の観客は、「決められた流れ」を知っている者もいます。繰り返し見ている者です。

芝居を繰り返し見ている観客の視点が、コンテクストに介入できるようになれば、

時間をループする作品ですね。
All You Need Is Killが、まさにそれではないでしょうか。

次回はAll You Need Is Killについて書きます。

All You Need Is Kill(1) [ 小畑健 ]
All You Need Is Kill(1) [ 小畑健 ]
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ゼロ円ビジネスの罠 (光文社新書)
ゼロ円ビジネスの罠 (光文社新書) [新書]


■“無料”を活用したマーケティングはスタンダードにはならないか

無料から利益を生み出すゼロ円ビジネスについて、国内を中心とした事例や、今後についての予測までを詳しく解説されている本です。

クリス・アンダーソンの「フリー」 よりも後に出版されていることもあり、より深く無料を活用したビジネスについて言及されている印象です。

無料クーポン誌や、無料コピーだったり、マクドナルドの無料コーヒーなど、国内の事例をふんだんに取り上げているので、「フリー」よりも読んでいてすっと頭に入ってきます。

印象的だったのは、ゼロ円ビジネスの今後の予想。

「ゼロ円ビジネス」は、あらゆる商品・サービスの分野に広がっていく流れにはならず、一過性の現象・局所的な現象にとどまる可能性が高いと見ている。
なぜなら、基本的に「ゼロ円ビジネス」が成功するのは、それが人々の意表をつくからであって、たくさんの追随者が出てくるようになれば、無料を謳ったとしても消費者の心をとらえることはできなくなるからだ。

ある分野において、最初に無料を行う場合には市場にインパクトを与えることができて注目されますが、それを他の多くの企業が真似して行う場合にはインパクトがなくなる。

今後は、価格に焦点をしぼるのではなく、サービスと品質を追求していくことが重要になる、というまとめになっているのですが、どうにも普通すぎておもしろくないまとめです。

ゼロ円ビジネスは、価格に焦点をしぼるというよりも、価格を発生させないことによるインパクトに本来の狙いがあるので、価格競争とは根本的に別の考え方です。

多くの企業がゼロ円ビジネスを行うことでインパクトがなくなるのは確かにその通りなのですが、価格競争とか価値競争とは別の次元にゼロ円ビジネスという戦略はあると思います。

「お金を払うのが当然」という市場に、「無料」の商品を出すことで、一気にシェアを奪ってマーケットリーダーになれたりもします。

この考え方により、あらゆる分野で、マーケットシェアが今までとは違う速度で激しく入れ替わる可能性を秘めており、ゼロ円ビジネスは消えていくどころか、どんどんと増えていくだろうと僕は思います。

ゼロ円ビジネスの罠【電子書籍】[ 門倉貴史 ]
ゼロ円ビジネスの罠【電子書籍】[ 門倉貴史 ]
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文章には、一般的には三人称までという認識です。

一人称は、話し手の「私は――」。
二人称は、話しかけられる相手の「あなたは――」。
三人称は、話し手と聞き手以外の俯瞰的な視点「彼は―」。

ここに、第四人称があるというのが、本書の冒頭で言及されている内容です。

■第四人称とは何か?

コミュニケーションは、第一人称と第二人称の間においておこる。その中で言及されるすべてのこと、話題は第三人称に一括される。こうして、第一、第二、第三人称によってつくられるのが、コンテクストである。

「その中で言及されるすべてのこと」というのが分かりづらいが、「私」と「あなた」と「その間」ということではないでしょうか。第一、第二人称を中心のコンテクストの中に第三人称があるということですね。

このコンテクストをもとのより大きなコンテクスト、本などから引用する人はどういう存在であるか。第一人称、第二人称でないのはもちろん、第三人称にも入らない。その外側の別の存在である。これにはまだ、名がない。それで、本書ではこれに第四人称という名をつけることにしたい。
第四人称はさきのような引用者に限らない。コンテクストの外側にある受け手がすべて第四人称になる。

つまり、第一、第二人称を中心のコンテクストの中に第三人称がある。その外側にある人称が第四人称ということです。
小説の読者は第四人称ですし、神様も第四人称です。

ポイントは、第一人称に意識されていない、ということではないかと思います。
第四人称が、第一人称に意識されると、そのときはすでに第二人称になるからです。

第四人称は、第一人称に認識されない、外側に存在しています。それゆえ、その存在はあるけれど、あまり重要視されずに第三人称と一緒くたにされてしまっています。
「私」と「あなた」以外の全てが第三人称であると。

第三人称の外側にある存在は、小説だと取り扱うのは難しいですが、プレイヤーが選択肢を決定できるゲームでは話が違います。

■文学でなくゲームに現れた第四人称


この第四人称の存在を活用して、ストーリーに活かしたゲームが、EVER17です。



シミュレーションゲームで、プレイヤーはテキストを読みながら、たまに選択肢を選択し、選んだ選択肢によって違うストーリーが展開していく、というゲームです。

このゲームの凄いところは、プレイヤーが選択肢を選ぶというこういにより、一人称の主人公が知りえないことを選択できてしまうことを実証し、ゲームの登場人物がプレイヤーの存在に気付く、という点です。

第四人称にスポットを当てて、コンテクストに介入させたという、ひとつの革命のような作品です。

横光利一や太宰治も小説論の中で四人称について言及しており、作品に活かしましたが、ここまで鮮やかには活かせていません。

小説の場合には読者は一方的な受け取り手になるのがその原因でしょう。
小説において作中に第四人称の介入を実現するには、読者でない外側の視点を設定する必要があるのだと思います。

横光利一の「機械」は、現在の「私」が過去の「私」を語る小説です。
過去の私が一人称であり、時間軸で見るとコンテクストの外側の存在であるので、現在の私は四人称であるととれます。

横光利一は時間軸に焦点を当てることで四人称を可能にしました。
小説において、四人称の表現はまだ掘り下げられていない分野なので、時間軸を用いた表現や、時間軸以外での表現など、多くの可能性がそこにはまだ手付かずで残されています。

第四人称 [ 外山滋比古 ]
第四人称 [ 外山滋比古 ]

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ヤングジャンプにて連載中の漫画キングダムは、現在休まずに連載している漫画の中で最もおもしろい漫画だと思います。

間違いなく漫画史に残る凄い漫画「キングダム」が、なぜおもしろいのかを考察していこうと思います。

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
キングダム 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) [Kindle版]


■5巻まではそこまでおもしろくない普通の少年漫画


キングダム


キングダムの舞台は、紀元前245年の中国です。
田舎の戦争孤児で奴隷のような生活を送っていた主人公の信が、天下の大将軍を目指して戦い成長していく、というのが大まかなストーリーです。

これだけ読むと、少年漫画によくある、未熟な主人公が強敵と戦っていって成長して強くなっていく、という使い古されたストーリーパターンになるので、新鮮味がないように思えます。

実際、キングダムも5巻まではそんな感じで進んでいきます。

僕は正直、この段階で読むのをやめようかと何度か思いました。

5巻までの未熟な主人公が強敵と戦っていって成長して強くなっていくというストーリーパターンは、まるでドラゴンボールですね。
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■6巻からは個人の戦いから軍の戦いに

ドラゴンボールのように、信の個人の戦いが描かれていたキングダムですが、6巻からそれは変わります。

主人公の個人の戦いから、数万人規模の軍の戦いが描かれるようになるのです。
主人公は、軍という社会の中に所属して戦い、軍の中で成長していくのです。

ここから、この漫画は一気におもしろくなります。

信は最初は部下もいない一歩兵だったのですが、軍の中で功績を上げて百人将、千人将、と出世していくのです。

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5巻までの主人公が強い敵を倒して成長していくドラゴンボール的なストーリーから、自分の属する組織の中で成長して出世していく、まるで課長から社長に出世していく島耕作的な要素が追加されたのです。

出世していくにつれて、部下が多くなります。

部下の数に応じて対応を変える必要があったり、状況に応じてどのように鼓舞していくかだったりなど、組織の中でどのようにふるまうべきかも教えてくれる漫画です。

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千人隊となって、千人を鼓舞する信


■キングダムの本当のおもしろさは、スラムダンク的なストーリー展開にある





この漫画の本当のおもしろさは、実は上記で説明した主人公の成長物語とは別のところにあります。

強い敵や困難な状況に立ち向かうために未熟な主人公が成長していく、というのは昔からよくある漫画の王道ストーリーです。

ドラゴンボールをはじめとする王道ストーリーでは、主人公は個人で戦う場合が多く、主人公より強いキャラクターは相手側にいて、この強い相手を倒すために主人公が成長していくという流れです。

キングダムがこの王道ストーリーと異なるところは、強い敵や困難な状況に対して、それらを熟知した格上のキャラクターと一緒に主人公が戦い、それにより成長していく、というストーリーなところです。

これは、井上雄彦の漫画「スラムダンク」が近いのではないでしょうか。
主人公の桜木花道のチームには、赤木や流川など、既に高校トップクラスの力を持ったキャラクターがいます。

バスケット素人の桜木が主人公であるがために、赤木や流川の凄さが際立ち、そんな赤木や流川を苦しめる敵キャラクターの凄さにも説得力が増すのです。

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主人公よりも格上のキャラクターが仲間にいて一緒に戦うというパターンは、他には甲斐谷忍の漫画「ライアーゲーム」もそうですね。

桜木にとって流川が目標であるように、信の最終目標である天下の大将軍は味方である王騎将軍でした。


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キングダム屈指の名シーン 「天下の大将軍ですよ」

目標とする強さを持った者が相手にいるのなら、その相手を倒すために強くなって戦う、というシンプルなストーリーになりますが、
目標とするキャラクターが味方にいることにより、物語に深みが出ているのです。

主人公がまだ成長過程にいるからこそ、将軍となっている味方のキャラクター達の凄さが際立ち、そんな味方キャラクターを苦しめる敵キャラクターの凄さにも説得力が増すのです。

キングダムは間違いなく歴史に残る物凄い漫画です。

序盤だけ見て読むのをやめた方は、頑張って6巻まで読み進めてみてください。寝不足になること間違いなしです。



キングダム 1-43巻セット [ 原泰久 ]
キングダム 1-43巻セット [ 原泰久 ]


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■名作文学の短編を漫画家

本書は、イラストレーターの長崎訓子が名作の短編小説を独特のタッチで漫画にした、短編集です。
夏目漱石、佐藤春夫、モーパッサン、梅崎春生、海野十三、向田邦子、横光利一など、そうそうたる作品を取り扱っています。

名作文学の漫画家として、一般的にイメージされるのが、小学校の図書館に置いてあるような子供向けの漫画ですが、そういった雰囲気とは違い、外国の漫画みたいな雰囲気です。


■文学を解釈しきれずに漫画にしている本

肝心の内容はというと、文学を噛み砕かずにそのまま漫画にしたというような内容でした。

文学と漫画とは、表現の根本が似ているようで違うものなので、ストーリーなどの表面だけを切り取って漫画にしているので、大事なものが切り落とされてしまっています。
おそらく、それは長崎訓子の意図ではなく、見落とされてしまっているだけ、という印象です。

例えば、問題なく漫画家できていると感じるものだと、向田邦子の「鮒」です。
これはもともとの作品がストーリーを読ませることを意図して作られたような作品なので、そのまま漫画化しても作品のコアの部分は失われずに伝わってきます

逆に、駄目な例が、横光利一の「頭ならびに腹」です。
横光利一の作品は、描写に特徴があり、新感覚派というジャンルを築いた作家です。
新感覚派について語るときりがないのではぶきますが、ようするに、ストーリーがメインではなく、描写を通して文学の可能性を追求しているような作家なのです。

そんな横光利一の作品をどのように漫画にしたのか、と楽しみに読んでみたのですが、ただ表面のストーリーだけが漫画になっているだけでした。
化学調味料で有名店の味を再現したカップラーメンを食べたような気分になりました。

横光利一の作品は、表面のストーリーだけを見ても何が何やら分からないので、この漫画を見ただけだと意味が分からないと思います。

文学として原作のあるものを漫画にする場合は、一度文学を自分の中で咀嚼する必要があるのだとこの本を通して実感させられました。その上で、下記の2パターンのどちらかにするべきだったのではないかと思います。

・自分なりの解釈を漫画として表現
・漫画ならではの表現で描きなおす

普段、文学と漫画の違いとは、などと小難しいことを考える機会はあまりないので、
こういう、少し完成しきれいない作品を見ることでいろいろ考えが巡るということもあるのだな、と実感いたしました。

marble ramble [ 長崎訓子 ]
marble ramble [ 長崎訓子 ]


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「メルモ」サービス終了のお知らせ

■過渡期のインターネットサービスにおいて、共感を目的とする人が集った特殊な場

メールマガジン配信サービスとしては、「まぐまぐ」が業界ナンバー1で有名なのでご存知の方も多いかもしれませんが、
配信サービス2番手として追随していたのが、メルモでした。

僕も実は10年ちょっと前に利用していました。

メルマガサービスの目的は、基本的には“商売”です。
商品の紹介だったり、イベントの告知だったり、本人のブランディングだったりします。
まぐまぐはそういったメルマガがほとんどでした。

ですが、メルモはちょっと違いました。

企業色があまりなく、ジャンルごとに分かれてたメルマガ配信システムは、共感を求める人達の表現の場でした。

まぐまぐのメルマガの発行者の主な目的が“商売”だとすると、
メルモのメルマガの発行者の主な目的は“共感”でした。

楽しさや嬉しさはもちろん、孤独や不安や虚しさまでも共有しあえたのです。

発行者は共感を求めて表現しているどこかの知らない人なのですが、届いたメールを返信すれば普通に会話ができます。

Facebookのような実名でプライベートを見せるわけでもなく、掲示板のようにまったくの匿名でもない、そのちょうど中間にあった数少ないサービスなのです。

そして何より、メルモには共感を求めた人々が集っていました。

今、Facebookで一人共感を求めて孤独や不安や虚しさについて書いたら、ただの変な人です。恥ずかしいので長続きしないでしょう。
メルモは、そういう人が大勢だったのです。そこに特別な場所としての価値がありました。

僕はそこで、親友や恋人と知り合いました。共感を求めあって、それから現実で出会って関係を築く。
そんな出会いはもうないかもしれません。特別な時間でした。



■SNSの登場により、人は離れていった

そんなメルモですが、人が離れていったきっかけは、SNSの登場です。mixiが一般的になっていくのに合わせて、メルモから発行者や読者は次第に減っていきました。

なぜなら、リアルの友達がみんなmixiをやっているから、mixiはやらざるをえないのです。
メルモにかけていた時間は、mixiを見て日記を書く時間になり、Twitterが登場したころには、メルモはまったく見なくなってしまいました。

そして、日常に共感もなくなってしまいました。

心の奥深くを晒して、認め合って、愛し合うような。

実名でプライベートを晒し合って、認証し合って、軽く会釈するような今のSNSには、メルモにあった“感動”は決してありません。

僕は、そんな感動にまた出会いたいんです。


メルモ
http://merumo.ne.jp/

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畠山直哉 (ヴァガボンズ・スタンダート)
畠山直哉 (ヴァガボンズ・スタンダート) [単行本]

■誰のために作られた本なのか?


本書は、上記amazonに掲載されている商品説明によると、

「鉱山から地下世界、爆破の光景から震災後の風景まで、写真の可能性を追求する畠山の濃密な写真世界をダイジェスト。 」
とのことです。

実際にこの商品説明通りの本です。

時系列で、畠山直哉の代表的な写真作品が並べられています。

写真作品ごとの作品名も、説明や背景も書かれていません。

巻末に作品名は一覧で載っていますが、一覧なので見づらくてしかたがありません‥。

畠山直哉の作品は、感覚でなく、言語的なものだと思います。
つまり、ただ作品だけを見ても何が何やらというものが多いです。

美術館でも、作品の横には作品名と、気がきくところでは簡単な説明が書かれていたりするものです。

本書は、説明がないので畠山直哉をよく知らない人が手に取ると、何が何やらという内容です。

では、畠山直哉について詳しく知っているファンが持っておくべき本かというと、本当に代表的な写真だけをピックアップしているので、今さら手元に置いておくべきでもないと思います。

ダイジェストにするのなら、写真家自信のことばで改めてそれぞれの作品を解説してもらうとか、
言葉をはぶくなら、あるテーマを決めてそれに合う写真だけをピックアップする、というやり方を行えばよかったのに、と思います。

最高の素材を使って、おいしくない料理が出されたような、編集って大事だなというがよく分かる本です。

畠山直哉 [ 畠山直哉 ]
畠山直哉 [ 畠山直哉 ]


話す写真 見えないものに向かって
話す写真 見えないものに向かって [単行本]


本書は、写真家の畠山直哉が展示会などで話した内容を、文章としてまとめたものです。

その中に、僕の好きな作品であるSlow Glassについて語られている章があったので、本書を読みました。

Slow Glass 畠山直哉
Slow Glassより


Slow Glassは、車の中から、水滴のついた窓越しの風景を撮影した作品です。

この作品Slow Glassの題が「去りにし日、今ひとたびの幻」というSF小説の中からとられたとのこと。
本書では小説について説明がされているが、下記の引用の方が短くまとめられています。

昔のファンタジー文学のいくつかには「光の速度を遅らせるガラス」という発明を扱ったものがある。その硝子を通って出てくるのは過去の光であり、覗き込めばそこに過去の光景が見える。だから物語は、たとえば美しい田園の風景を蓄えたガラスが、汚れた都会の住宅の窓に嵌められたり、犯罪の現場にあった窓ガラスが、証拠として法廷に持ち込まれたり、といったふうに展開してゆくのだが、じっさいにこのような機能は、現代の映像メディアにおいて完璧に実現されてしまっているのではないか。
 物語はやがて、忘却されるべき過去が、しつこい記憶として現在に侵入してくることの不幸を描き始める。これもすでに現代の僕たちにはおなじみの経験だ。いまや記憶は人間の心から離れた場所に着々と蓄えられ、その膨大な量がかえって僕たち自身を不安にさせているのだから。僕たちの時代は、あらゆる過去の光によって隅々まで照らし出されている。それは全面「スロー・ガラス」張りの建築の内部空間のようなものだ。身を寄せるべき陰はなく、すべては冷酷なほど明るい。

『畠山直哉 NAOYA HATAKEYAMA』(岩手県立美術館/国立国際美術館 淡交社 2002年)より
参照元:http://matome.naver.jp/odai/2135952550939780601

過去が忘れ去られずに、現在に侵入してくること、物語の最後は現在の私たちの世界と変わらないのです。

「話す写真 」の中より引用します。

私たちは、すでに多くの科学技術によるslow glassに囲まれ、相対的な時間、空間からやってくる光に囲まれて暮らしている。すべてのものが幻想であり、同時にリアルであるというアンビヴァレンスが、皮肉にも確固とした科学的認識によって裏付けられているという社会に私たちは生きています。

一度読んだだけでは理解できないくらい難しい。
ここでいう科学技術とは、写真などではなく、映像についてです。

過去の映像が現在に浸食してくることにより、世界の全てが過去に影響されているものという幻想の中の、現在を私たちは生きています。

その典型が、自動車を運転中の意識なのです。

畠山直哉の写真には、今我々が生きている世界に意味が付与されるような、そんな感動があるのです。


Slow Glass 畠山直哉1
Slow Glassより

Slow Glass 畠山直哉2
Slow Glassより


話す写真 [ 畠山直哉 ]
話す写真 [ 畠山直哉 ]
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彼女たち―Female Photographers Now
彼女たち―Female Photographers Now [単行本]

女性の写真家12人に取材を行ってそれぞれの写真家論をエッセイのようにまとめてある本です。

その中に、やなぎみわについての章があったので、本書を読みました。
やなぎみわ以外の箇所についてはまだ読んでません。

■やなぎみわはフォトグラファーではない


やなぎみわの作品は、その多くが「想像のシーンを写真に撮る」という試みで作られている。

本書での、章の見出しにもなっているやなぎみわの言葉によると、

見たい光景は自分でつくる

こんなオシャレで気の利いた言葉を取材で聞き出して、見出しに持ってきてしまう作者の一流のセンスを思わず感じてしまうのです。


やなぎみわ_マイグランドマザーズ1
やなぎみわ マイ・グランドマザーズより

現実の過去のシーンを記録するための「カメラ」という手段を用いて、想像のシーンを作ることは、ある種の矛盾をはらんでいるとともに、作品として世に出すまでには相当な苦労と作業が必要となるようです。

撮影のセットを作り、モデルに特殊メイクを施し、撮影後はPCの画面でひたすら修正を行う。
写真の持つ特性である、偶然性を一切排除していきます。

なぜ、このような作品を作るのでしょうか。

肩書きを問えば、やなぎは「美術作家」と答え、「決してフォトグラファーではない」という。

やなぎみわは学生時代の終わりに、写真の魅力に気付いたようで、写真家ではなく、美術作家として制作活動をスタートさせています。

写真は“目的”でなく、自身の美術作品を表現するための“手段”ということなのでしょう。

そのスタンスが、やなぎみわが写真家の中で異彩を放つ原因なのかもしれません。


■山内宏泰の表現、深さは凄い

被写体、つまり外部の存在を前提とする写真というメディアを用いていながら、自分の内部にあるビジョンの強度を信じて映像を作り変えていく。

著者の山内宏泰はやなぎみわの作品についてこうまとめます。

僕は、やなぎみわについて読みたかっただけなのですが、取材を行い文章にまとめた山内宏泰さんのレベルの高さに脱帽です。

ここまで短い文章で分かりやすく、取材対象者の作品に深く迫れる人はおそらくいないのではないでしょうか。

やなぎみわの章以外はまだ読んでいないので分からないのですが、全部がこのレベルだったら、凄い人ですね。

彼女たち [ 山内宏泰 ]
彼女たち [ 山内宏泰 ]

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■アートでなく、震災の記録としての写真集


この写真集を、畠山直哉の他の写真集と同じようにアートを期待して手に取ると、その期待は大きく裏切られることになります。

テーマは東日本大震災で、陸前高田市気仙町出身の畠山直哉はこの震災で母を亡くしました。

前半は、震災の数年前より作者が撮りためていた気仙川の写真と、震災が起きて家族の元へと向かうまでを書いたエッセイで構成されています。

気仙川_畠山直哉


後半は、瓦礫の山となった気仙川の写真です。
前半にたくさん出てきた美しい景色との対比もあり、見ているのが辛くなります。

気仙川_畠山直哉1



■これは、記録としての当たり前の写真

畠山直哉の「写真」は、私たちの見ている景色や生きている世界に、新たな意味を付与するような、そこに素晴らしさがあるのだと僕は思っています。

この本にあるのは、世界に意味を付与するアートとしての「写真」でなく、出来事を記録としてのこすための当たり前の「写真」です。

震災は、彼の写真から魔法を奪ってしまいました。

本を読み終えると、喪失感が残ります。

気仙川_畠山直哉2


■作者によるあとがき


と、僕が考えていたことは作者もお見通しだったようで、巻末の「あとがきにかえて」の中で言及されています。
一部を引用します。

「僕には、時運の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない。僕は自分の住む世界をもっとよく知るために、写真を撮ってきたつもりだ」

故郷の姿は、いまでは人々の記憶の中と、写真の中にしか存在しない。どうということもなかった僕の写真は、僕の意図とは無関係に「記憶を助ける」ものに突然変化してしまった。

世界をもっとよく知るために撮った過去の写真までもが、震災でその意味が変化してしまったのです。

アーティストにとって、受け取り手にとって、作品の中にあったはずの感動は、東日本大震災により記録としての当たり前の写真になってしまったのです。


気仙川 [ 畠山直哉 ]
気仙川 [ 畠山直哉 ]

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■頭の中を素通りしない、記憶に残る写真

やなぎみわの写真は、人を惹きつける何かがあります。

一目見た時から頭の中に彼女の写真は残り続けていました。

2009年のことですが、マイ・グランドマザーズの企画展が東京都写真美術館で開催された際に初日に見に行きました。

美術館に近づくにつれて、胸が高鳴り、まるで初恋の女の子とのデートに行くかのような気分になったのを今でも覚えています。

やなぎみわ_マイグランドマザーズ

やなぎみわ_マイグランドマザーズ1

やなぎみわ_マイグランドマザーズ3


■想像のシーンを写真に撮る

マイグランマザーズは、モデルにインタビューを行い「50年後の自分」を想像してもらい、それをモデルに特殊メイクを施して具現化したものです。

やなぎみわ_マイグランドマザーズ4


セット、メイク、CGなどを駆使して、モデルの想像した光景を作りだしています。

やなぎみわ_マイグランドマザーズ5

やなぎみわ_マイグランドマザーズ6


「モデルの想像の中の未来のシーン」を、あえて「現実の過去のシーン」を記録する写真という手法を用いて表現することにより、“矛盾”が含まれた作品の一枚一枚に感情が揺さぶられます。



マイ・グランドマザーズ [ やなぎみわ ]
マイ・グランドマザーズ [ やなぎみわ ]



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■倫理の基本まで回帰


実はこの小説、2010年の発売当初に読んで、最近改めて読み直しました。

小説のテーマは、正義とは何か?悪とは何か?
これは文学の領域というよりも、倫理学の領域ですね。もしくは哲学でしょうか、小学校だと道徳ですね。

文学として、著者が扱うべきテーマは山ほどあるであろう中で、倫理の基本ともいうべき善悪まで回帰したのはなぜなのだろうか、と疑問が残るのです。

主人公も、それを象徴するかのごとく3歳の子供です。

と、まあこういう印象を僕には残しつつ、再読しても最後まで読めてしまう小説なので良い小説です。

あとは、いろいろ言いたいこともあるのだけれど、よくまとまらないんです。とにかく読んでみてください。


■セカイ系と倫理が出会って新たに生まれるものは?

今読み返すと、セカイ系の影響が強く感じられます。2010年頃の当時はセカイ系の全盛期ですからね。

代表作の「さようなら、ギャングたち」では、文学そのものに挑戦していくような小説でしたが、今作はセカイ系の表現を使って善悪をテーマにした小説、という感じです。

セカイ系と倫理が出会ったとき、新しい何かが生まれたのでしょうか。
作中の登場人物の言葉で言うと「ユーが、自分で考えな!」って感じです。答えを出すことが文学の役目ではありません。


■物語の最後に込められたメッセージ


物語の最後のエピローグでは、作者を連想させる「わたし」による語りで終わります。
象徴的な表現は2つです。

ひとつの『世界』は、他の『世界』によって支えられているのだ。お互いの『世界』によって、支え合っているのだ。けれど、そのことは絶対に証明できないのです。

気が付くと、ミアちゃんのお母さんが、わたしの方にもたれて、眠っていました。
(省略)
立ちたいけど、ミアちゃんのお母さんを起こしてしまうから立てない。どうしよう。まあ、いいでしょう。わたしには、疲れて眠っているお母さんを起こすようなことはできないのでした。

世界は支え合って存在している。証明できないけれど。
人も支え合って存在している。疲れて眠っているお母さんを起こすことはできないけれど。

何だか、うまいこと書けません。もう一度読んでみます。
いい小説なのは間違いないです。何度も読めるんだから。


「悪」と戦う [ 高橋源一郎 ]
「悪」と戦う [ 高橋源一郎 ]



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「リビングルームII」 ミシェル・ブラジー展

銀座のエルメスにて、ミシェル・ブラジー展が開催されていたので、行ってきました。
入場料は何と無料です。何ともありがたいです。

行きたい場合は、エルメスの公式サイトで場所などの詳細をご確認ください。

会場では写真撮影OKだったようなのですが、それを知ったのが行った後でした。。
撮影OKならば撮ってくればよかった。

ミシェル・ブラジーはフランス・パリ在住のアーティストで、自然とテクノロジー、有機物と人工物といった相反するものを調和させる世界を提案している方のようです。


■発想の出発点が違う


この企画展、固定観念がここまで崩せるのかと驚きました。

「リビングルームII」 ミシェル・ブラジー展2
靴から草が生えてきたり

「リビングルームII」 ミシェル・ブラジー展3
PS2からも草が生えてきたり

「リビングルームII」 ミシェル・ブラジー展4
ワインを飲む壁、という題で、実際に壁にワインがしみこんでいっています。隣には使ったワインボトルが数本


「リビングルームII」 ミシェル・ブラジー展5
壁一面の布に何か描かれていると思って近づいたら、カタツムリが何匹か布の上を動いていたり


相反するものを調和させる世界、と言葉で書くとそうなってしまうかもしれないのですが、
「相反するものを調和させる表現」という出発点から、こういう発想が出てくるものなのかと、おそらく無理ではないかと。

出来上がったものは、相反するものを調和させる世界ですが、ミシェル・ブラジーは別の出発点から作品を考えているのだと思います。

おそらく、「変化」とか「偶然」とか、むしろそういうところから何を表現するかの思考が出発しているのではないかと感じます。

実際に見て、その答えが分かったらぜひ教えてください。

固定観念を本当に崩すには、固定観念を崩そうと考えている人には無理なのだと思います。



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■地下と地上の境界線

この写真集はタイトルが示す通り、地下の世界を撮影した作品です。

僕が感動したのは、地下の本編に入る前の導入の写真。

渋谷の川の景色が撮られており、地上と地下に境界線が見て取れる。


畠山直哉 underground

僕は渋谷区に住んでいたことがあり、この景色は毎日のように見ていた。

僕が毎日見ている全く同じ景色の写真が、写真集の中で新たな意味を付与されている。

同じものを見ているのに、何も手を加えずにただ撮った写真なのに、そこに意味や感動がプラスされている。

畠山直哉の表現は何て凄いのだろうと思うとともに、自分が新たな意味を付与する表現者になれていない事実に気付かされる。

畠山 直哉の写真には、僕たちが見ているものに、手を加えずに、写真に撮るということで新たな意味や感動が付与される。

Undergroundは現在は絶版となってしまっていますが、amazonで中古で購入が可能です。


Underground
メディアファクトリー
2000-06



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ゴジラ(昭和29年度作品) 東宝DVD名作セレクション
ゴジラ(昭和29年度作品) 東宝DVD名作セレクション [DVD]


■水爆実験が生んだ恐怖の生物

シン・ゴジラを見た勢いで、久しぶりに初代ゴジラを見直しました。

初代ゴジラはいわゆるゴジラVS〇〇というような、子供向けの戦い映画ではありません。
水爆実験によりゴジラが生まれて、東京に上陸して街をひたすら破壊する、という衝撃の作品なのです。

今見てもゴジラが街を破壊していくシーンのインパクトは物凄いものがあり、公開当時の人々の衝撃はとんでもないものだったでしょう。
しかも戦争が終わって日が浅いですから。

僕の母親は「夢にゴジラが出た」と言ってました。そのくらいの衝撃があったのです。




■一般市民の視点から見る恐怖


シン・ゴジラでは一般市民の視点から見たゴジラが、意図的に演出からはぶかれていました。
それとは逆に、初代ゴジラでは一般市民の視点からゴジラを描くことで、恐怖が何倍にも膨れ上がります。

特に、東京にゴジラが上陸して街を破壊するシーンは日本映画史上において最もインパクトを残したシーンと言えるのではないでしょうか。

シン・ゴジラとの一番の違いはこの視点による演出方法です。

日本政府や自衛隊の視点から見ると、初代ゴジラの圧倒的な恐怖は生まれません。

また、その後のゴジラVS〇〇のような対決物でも同様に恐怖は薄れました。

ゴジラシリーズではこの演出は初代に勝る作品はないのですが、
ハリウッド映画のクローバーフィールドが、一般市民目線からの演出を発展させた形で、ある意味で初代ゴジラを超える恐怖を描ききっています。

まだ見たことがない人は、ゴジラの東京上陸シーンだけでも見てください。
僕が今まで見た映画の中で最もインパクトのある映画のシーンです。夢に出てくると思います。

ゴジラ(昭和29年度作品)【60周年記念版】【Blu-ray】 [ 宝田明 ]
ゴジラ(昭和29年度作品)【60周年記念版】【Blu-ray】 [ 宝田明 ]



【関連リンク】
シン・ゴジラ──エヴァの象徴として描かれたゴジラ 【映画レビュー】
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BLAST



■言葉を消し去る衝撃


衝撃。

言葉を失う。

胸が打たれる。


自分の中の普段は動くことのない何かが思わず動いてしまうような、そんな写真集です。


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本を開くと、どこかの岩場での大きな爆発の瞬間をとらえた写真が並んでいます。

その衝撃に、言葉を失います。
胸が打たれて、ページをめくっていると、その写真や自分の受けた衝撃に対して、言葉で意味を探している自分がいます。

「自然を、人間の手による爆発で壊しているから、胸が打たれるのではないか?」

「単純に、爆発というものに対する恐怖などの潜在意識が衝撃を与えるのではないか?」


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巻末のあとがきを読むと、これらは石灰石を小さくして運ぶための爆発だということが分かります。

あとがきには、こんなことが書かれています。

ハンマーや蚤や楔、火や水。こうして岩は、人の手によって運べるほど小さくなるが、ではもし、その小さなサイズの岩が、大量に必要になった場合には、どうすればよいのだろう?岩を集めて、ひとつの都市を造らなければならないほど、大量に必要になった場合には?

作者も、この爆発の写真に意味を与えようとしています。
これ以外にも、「ながいあとがき」と題されたあとがきでは、この写真の撮影背景も含めて、意味がたくさん与えられます。

作者による意味を受け取ったあとで、見直してみると、言葉によって与えられた意味が見事に吹き飛びます。

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写真の衝撃が言葉を消し去ってしまいます。


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受け手の胸を打つには、映画では2時間、小説では200ページは必要です。

この写真集は、本を手に取って2秒もあれば、胸が打たれます。




BLAST [ 畠山直哉 ]
BLAST [ 畠山直哉 ]保存保存保存保存






■「常識」にとらわれた脳みそを解きほぐしてくれる本

amazonのレビューだとなぜか結構酷評されているのですが、僕はこの本、大好きです。

石原明さんの本の中でも1番かもしれません。

本の右ページに質問が載っていて、左ページに石原明さんのそれに対する回答が載っているという形式なのですが、これがとにかく予想の斜め上を行く回答なんです。

読み中としては、右ページの質問を見て、自分だったら何て答えるだろうかと考えてから、左ページの石原明さんの回答を見るという形式が良いと思います。
脳みそが解きほぐされます。

例えばこんな感じです。


「付き合う価値のないヤツとは、縁を切る」
→ぼくだったら、切らずにほどくけどなぁ

「新しいビジネスのヒントは、マーケットの中にある。」
→えっ、自分の中でしょ。

「お客様は、神様です」
→疫病神かもよ

「困ったら、困難な道を選びますっ!」
→いや~ん、ラクな道でしょ。

「このままじゃダメだ、SEO対策に予算を投じなきゃ。」
→イエーイ!街で踊ろうよ~。


こんな感じで、それぞれの回答が詳しく書かれております。

石原明さんの考え方を知るという意味では、数ある著作の中でも最も象徴的な本かもしれません。

自分が常識にとらわれていることが実感できて、読み終わったときにはかなり脳みそが解きほぐされていることと思います。


■勉強するとどんどん馬鹿になる

本書の中で最も心に残ったのが、この項目。
「勉強しないといけない」という気持ちが強いので、殊更印象に残ったのです。

「勉強、勉強!平日の夜はセミナー、週末はビジネス書を読破するぞ!」

→そりゃ、大変。どんどんお馬鹿になっちゃうよ。

ビジネス書やセミナーで言っていることは、現状のマーケットに対応していないから、学べば学ぶほどピントがずれてしまうのだそうです。
先入観を持って現実を見るから、何が起こっているかも正しく認識できない状態に陥ってしまうのです。

ピント外れの勉強なんていますぐ止めて、自分の感動フィルターに刺激を与えてあげることですよ。初めての場所に行く、触れたことのないものに触れてみる。人と会ったら話しかけてみる。さあ、書を捨てよ、町に出よ。刺激を求めて繰り出しましょう。

先入観を持って現実を見ると何が起こっているのか正しく認識できない、とは、確かにそうですよね。
勉強を行えばそれだけ先入観が植え付けられてしまいますし。

ううん、考えさせられます‥。

これが1つのテーマで、合計80くらいあります。

読み終わったときには、脳みそが解きほぐされて、世の中の見え方が変わっているはずです。


ぼくだったら、そこは、うなずかない。 [ 石原明 ]
ぼくだったら、そこは、うなずかない。 [ 石原明 ]

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■セミナーを仕事にしている人にとって必読の書

タイトルから想像するに、変化球でのセミナーに関する本なのかと思いますが、書かれていることは至極まっとうです。

セミナーの集客から本番、セミナー後の個別相談まで、一連のクロージングの流れについて細かく書かれており、セミナーを仕事にしている人にとってはどこかのポイントで必ず発見があるはずです。

自分もセミナーを仕事にしているので、セミナーの目的についての記述に発見がありました。


■セミナーの目的は販売することにあらず?

著者の遠藤さんのやり方では、セミナーでは商品の説明や販売は行わず、個別相談に繋げることだけを目的としています。
これ、理屈では分かりますが、実際には難しいですよね。

セミナーの目的は、決断するための判断基準を教えて、個別相談を希望してもらうことです。何かの商品を「販売」することでも、コンサルの仕事を「依頼」してもらうことでもありません。セミナー中は「売り」を微塵も感じさせてはいけません。

とのことです。
実際に商品を売っている人にとっては、これ、難しいです。
そもそも、まわりがそんなやり方をしていないし、セミナー開催には費用がかかっていますし、セミナー中に売り込みを一切行わないのは相当な勇気がいります。

ですが、著者の遠藤さんはこれを実践できているから、本を書けるほどの成果を上げているんですよね。

こんな感じで、どこかしらのポイントで考えさせられるような良書です。
セミナーに関わる仕事をしている人は、常に本棚に一冊置いておくべき本です。


たった5人集めれば契約が取れる顧客獲得セミナー成功法 [ 遠藤晃 ]
たった5人集めれば契約が取れる顧客獲得セミナー成功法 [ 遠藤晃 ]


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■コンサルタントの世界がわかる本

コンサルタントというと、何となく憧れの仕事ですね。

ですが、その正体はサラリーマン経験のある僕でもよく分かりません。
というのも、会社で頼んだことも、それらしい仕事をしたこともないからです。

実際に内情を知っているのは、ごく一部の方だけではないでしょうか。

それなのに、肩書に入っている人とかけっこう多いですよね。
実際のところ、名刺にコンサルタントと入れればそれだけでもうコンサルタントならしいです。

・具体的にどんな仕事をしているの?
・どんなお客さんが依頼してくるの?
・なぜ仕事として成り立つの?歴史や将来的な展望は?

本のタイトルから、こんな僕の疑問に答えてくれる本かと思ったのですが、本のスタートはコンサルタントのタイプから始まって、僕が期待ていたような、「そもそもコンサルタントとはなぜ成り立つのか?」みたいな話は書かれておりませんでした。

タイトルから想像する中身のスタート地点が違いますね、この本。


■コンサルタントは激務、らしい

そもそもコンサルタントとは、という話は書かれていませんが、本書では船井総研に務めている著者による、コンサルタントの実際の業務についての話が書かれております。

本の中でとにかく繰り返し出てくるのが、「休みがない」「労働時間が長い」とのこと。

本物のコンサルタントは基本的に休みがない。仕事を始めて最初の頃に上司に言われた言葉がこれ。「月月火水木金土日日」という昔の歌謡曲があるが、コンサルタントの仕事はそのくらい厳しいものだということを言いたかったのだろう。

こんな感じで、コンサルタントは激務だということがこれでもかといたるところに書かれている。

あまりにも繰り返し書かれているので、読み終わって感じる印象のほとんどは、コンサルタントって何だか休みがとれなくて大変そうな仕事だな、という感じです。

最後には、大変だけど楽しい仕事だ、とまとめられているが、苦しさはよく分かったが、どう楽しのかがほとんど本書から伝わってこないのが残念です。

コンサルタントに夢を抱いて本書を手に取る方は、コンサルタントの大変な部分をよく学ぶことができる本です。


コンサルタントの「お仕事」と「正体」がよ〜くわかる本第2版 [ 岩崎剛幸 ]
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■ビジネス書かと思うが、ランニングの専門書

最近、ビジネスとランニングの関係性に気づいて、毎日のようにランニングを日課にしています。
走るのが好きなのではなく、ビジネスに役に立つという観点から走っています。

そんな今の自分にぴったりかと思い、本書を手に取りました。
タイトルからして、ずばり、ランニングとビジネスの関係性に言及した本に違いないはず‥。

が、読んでみてびっくり。

ビジネスとの関係性にはほとんどふれておらず、ランニングの楽しさやトレーニングのコツばかり。

ビジネスとランニングの関係性に関しては冒頭に少し書かれているだけです。


働く人にとって、走ることで得られるメリットはじつに多い。

・仕事の前に走ることで、頭がすっきりして集中力が高まる。
・志向が整理されて、ひらめきが得られる。
・前向きな気持ちになることができ、ストレス解消に役立つ。
本当にこのくらいです。。。


■規則正しい生活は内に秘めた能力を発揮するうえで不可欠

他にも、数少ないランニングとビジネスに関して書かれている箇所を見つけたので紹介します。

規則正しい生活は、内に秘めた能力を発揮するうえで不可欠な心地よいリズムである。そして、そのリズムにのることでクリアに、かつスムースに物事を動かしていけるようになるのではないだろうか。

ランニングによって、一定のリズムで積み重ねることを学べるのだという。
ううん‥。


■タイトルに偽りあり

本のタイトルとは、一般的には作者ではなく出版社がつけるそうだ。
売れないと商売にならないので、もちろん売れそうなタイトルをつけるのだが、本書は明らかなミスですね。

ランニングとビジネスの関係性なんて全然書かれておらず、ランニングの楽しさと、走るためのコツなどが中心です。

正しいタイトルは、こんな感じでしょうか。

「ちょっとだけ走ってみたくなったら読む本 ―ランニングで貴方の人生は劇的に変わる



ランニングとビジネス成功する人、しない人 [ 金哲彦 ]
ランニングとビジネス成功する人、しない人 [ 金哲彦 ]
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アフィリエイト実践講座 ~あやぴが教えるレビューブログで目指せ! 月10万円の副収入



■女性向けアフィリエイト入門書

有名ブロガー「あやぴ」による、アフィリエイトの入門書が本書。

中身は商品レビューブログの具体的な書き方が書かれている以外は、他のアフィリエイトの入門書とほとんど変わりません。

アフィリエイトの入門書を読んだことがない方や、レビューブログをこれから始めようと思っている方以外は、読まなくてもよいと思います。

では、なぜこの本を取り上げたのかというと、あやぴさんの一日がちょっと衝撃的だったので。


■想像以上の長時間労働

本書の30ページから、あやぴさんの一日の生活パターンが記載されています。

朝6時半に起きて、寝るのが夜の2時。睡眠時間4時間半しかありません。

昼間は、家事や子育てを行い、その合間は全てブログの記事作成に関することでびっしりです。。。

下手なブラック企業勤務よりも労働時間多そうです。
アフィリエイトは、人気サイトを構築したら、あとは少しメンテナンスを行っていれば安定的に収入が得られる、と思っていたのですが、この長時間労働っぷりはアフィリエイト業界に夢を抱いている者はひきますね‥。

好きなことだから気にならないのでしょうか。
それともあやぴさんがちょっと特殊なのか。

ここまでやらないと人気ブロガーとして稼ぐのは難しいということなんでしょうね。

アフィリエイト実践講座 〜あやぴが教えるレビューブログで目指せ!月10万円の副収入 [ 竹中綾子 ]
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■最終話が酷評に終わった名作GANTZ

今更ですが、GANTZの最終回をやっと見終わりました。

大好きな漫画でずっとほぼリアルタイムで見ていたのですが、カタストロフィ編に入ってから連載ペースが週刊でなくなり、いつの間にか離れてしまいました。

という理由で、先日やっとカタストロフィ編から最終回までを一気に読破しました。

感想は、

「え、これで終わり!?」

でした。。。何ともあっさりしているというか、あの名作漫画の最終回がこれですかって感じです。

フルコースのフランス料理の最後のデザートでコンビニで売っているようなアイスが出てきたような、なんとも物足りない気持ちが残りました。


gantz-last

思わずネット上の評価を確認すると、やはり世論も同じ評価みたいです。

【ネタバレ】GANTZの最終回ヤバ過ぎワロタwwwwwwwwwwwwwww ...

最終回が酷すぎる!?終わり方が意味不明な漫画6選 | 漫画ネタバレ・考察王

ガンツの最終回wwwwwwwwww



中には別に悪くないって評価している人もいるけれど、圧倒的少数派みたいです。

GANTZって漫画を全巻読んだけど最終回の評判が納得できない



■酷評の原因は?

物語的には、敵の親玉を倒してハッピーエンドなのですが、この物足りなさの正体は何なのでしょうか?

簡単に流れをまとめましょう。

黒野が巨人の頭に特攻

頭ぶち抜かれて巨人死亡

ガンツUFOで爆発する宇宙船から脱出

地球に帰還

「ありがとおおおお」「黒野ありがとおおおおお」 加藤は弟と、黒野はたえちゃんと抱き合っておしまい

出典【ネタバレ】GANTZの最終回ヤバ過ぎワロタwwwwwwwwwwwwwww:MAG速

こうして流れだけ見てみると、悪くないんですよね。

どうやらストーリーじゃなくて別のところに問題があるのだと思います。


■作者は最終回に何を意図していたのか

この最終回について、作者である奥浩哉氏のインタビューが単行本の巻末に掲載されています。

――「GANTZ」でオマージュしている部分はどのあたりでしょう?
奥:宇宙からの侵略者に対して、別の宇宙人の技術を使って備えていたというところが大枠では
そうですね。あとは特に最終回。
「ザンボット3」では砂浜に神勝平が乗った頭部だけが落ちてきて、
そこにそれまで彼に好意的じゃなかった人々が集まってきて感謝すると。
で、ヒロインが2人いるん
ですけど、その内のかわいい方は爆弾にされて死に、
おカッパでぽっちゃりの地味な方が生き残って、
彼女の膝枕で主人公がその状況に呆然とした表情で終わるという。それをほぼそのままやってま
すね。もうかなり前から終わりは大好きな
「ザンボット3」のオマージュにしようと決めていたんです。
あれが僕のアニメの理想的な終わり方だったんですよ。

出展GANTZ完結記念、奥浩哉インタビューwwwww 最初から『ザンボット』をパクル気満々でしたw

ザンボット3のオマージュとのことです。

というわけでザンボット3の最終話を見てみましたが、本当にそっくりなんですよね。
砂浜で女の子の膝の上で主人公が抱かれてて、人々が集まってくるという、ほとんど同じです。

気になる方のためにニコニコ動画で見れるのでリンク載せておきます。




では、ザンボット3の最終回も同じように酷評されているのかというと、どうやらそんなことはなく、アニメ屈指のラストシーンとして評価されています。
場面変わって、日本の砂浜。ザンボエースの落下地点に駆けつけたガールフレンドのミチと香月は
砂浜で眠る勝平を見守ります。
勝平の生還を聞き、押し寄せる人々を前にそっと目を覚ます勝平。何かをいおうと口を開く
ところでEDテーマが流れ、ラストとなります。
アニメ屈指のラストシーンでした。

参照ザンボット3の最終回ってどんなんなんですか? - Yahoo!知恵袋:
ほぼ同じようにオマージュしたGANTZなのに、どうして一方の評価は屈指のラストシーンなのに対して、こちらの評価は酷評されてしまったのでしょうか。



■GANTZとザンボット3の最終回の違い

僕の考えている結論からお伝えしますと、GANTZとザンボット3の最終回の演出の最大の違いは“時間”です。

具体的には、見る者の時間です。

ザンボット3では、海から岸に上がったあと主人公が戦いが終わって助かったことが分からずに涙するシーンなどが1分以上あり、その後で人々が押し寄せてきてエンディングテーマが約3分流れます。

この合計4分の時間がいい余韻となり、今までのストーリーが感傷的に思い起こさせられる演出となっているのです。

それに対してGANTZの最終回はどうでしょうか。

dassyutu


ガンツUFOで爆発する宇宙船から脱出 (見開き2ページ)

地球に帰還して黒野と加藤の海の上での会話 (見開き2ページ)

二人が流れ着いて陸地に上がって加藤は弟と、黒野はたえちゃんと抱き合う(4ページ)

「ありがとおおおお」「黒野ありがとおおおおお」(見開き2ページ)



脱出から終わりまでが一瞬なんです。おそらく、読者はこれを20秒弱くらいで読んでしまうと思います。


■見る者の時間をコントロールできなかったGANTZの最終回


名作GANTZの魅力のひとつは、ページがどんどんめくられてダイナミックな描写が展開するというスピード感でした。

そのスピード感が、最終回では逆に仇となってしまいました。

ザンボット3の1分+3分の合計4分に対して、GANTZは約20秒で終わってしまったことが、酷評の原因です。

このラストの演出には、陸に上がってから1話分くらいのページを使う必要があったのです。

また、同じページ数で演出するとしたら、最終話の宇宙船からの脱出の後だけはページをどんどんめくれないようにセリフを多めにしたりコマ割りを細かくするなど、何らかの演出をする必要がありました。

このどちらかの方法で、見る者にせめて脱出から1分以上は時間を使わせるように描けたら、GANTZの最終回の評価は大きく違っていたことでしょう。

試しに、GANTZの脱出以降を4分かけてじっくり見てみてください。自分の中の評価が大きく変わるはずです。

GANTZ 37【電子書籍】[ 奥浩哉 ]
GANTZ 37【電子書籍】[ 奥浩哉 ]


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gozira


※本記事はネタバレを含みます。


■賛否両論の内容について

遅ればせながら、やっと劇場で見てきましたシン・ゴジラ。

一般的な内容としては、ゴジラ1954年の第1作のストーリーを踏襲しつつ、観客に新たな解釈を強制的に抱かせる作品です。


突然海から現れて放射能を撒き散らして都市を破壊していくゴジラなのですが、

第1作では核戦争の象徴としてなりましたが、本作では、観客は核戦争ではなく東日本大震災をゴジラに重ねます。

映画会社がこのタイミングでゴジラをやりたかった理由が分かりました。

絶望的な状況でも、諦めずに立ち向かう日本と日本人たちの強さが描かれており、廃墟の中から立ち上がる日本人の強さを描き、我々に生きる希望を抱かせてくれます。うんうん。

見終わった直後の僕の感想は‥

「何しとんねん‥っ!」

でした。。。

けっこう期待して見に行ったのに、
もう、エンターテイメントとして考えたときに脚本が最悪で、CG技術の凄さ以外は全くおもしろくもなんともないんですよこの映画。

脚本の何が問題かというと、政府や自衛隊など国の役人と、街を壊していくゴジラの戦いだけで、一般市民の視点が一切ないから何の感情移入もできずに淡々と進んでいくんです。

残るのは、「ゴジラのCG凄かったね~」っていう感想だけです。

同じ怪獣もので一般市民の視点からのみ描かれたクローバーフィールドと比較すると、エンターテイメントとしての差が如実に分かります。

まるで、青島刑事のいない「踊る大捜査線」を見ているような気分でした。

織田裕二が交番勤務の警察官として一般市民と一緒に避難するようなストーリーを絡めたら、きっと歴史に残るエンターテインメント作品になったに違いありませんw

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劇場を出る時の僕はこんな感じで落ち込んでおりました


■なぜ一般人の視点が描かれていないのか?

さて、本作の脚本と監督はかの有名な庵野秀明が担当しております。

これだけ偉大な方ですから、脚本家として力不足ということは考えづらいでしょう。一般人の視点がないとこうなってしまう、ということは百も承知のはずです。

他の脚本家ならまだしも、“あの”庵野秀明がただつまらない作品を作るわけありません。

“あの”エヴァを作った庵野秀明がただつまらない作品を作るわけありません。

“あの”天才の庵野秀明がただつまらない作品を作るわけありません。



多分。。。



家に帰って色々考えたり探したりしてみたところ、意外にも答えはシン・ゴジラの公式サイトのそれもトップページに堂々と載っておりました。

それがこちら。右上に注目です。

13

この映画のテーマは「現実」対「虚構」とのことです。そしてゴジラのルビは「現実」ではなく、「虚構」の方にふられています。

自分も含めた観客は東日本大震災の象徴だと感じてゴジラを見ていました。
だから一般市民の視点で、絶望的な震災に対してそれに立ち向かう人々、みたいなものを期待していました。

だけど、東日本大震災は我々が勝手にイメージしてしまっただけで、この映画の本来のテーマは別なのです。


■虚構の象徴として描かれたゴジラに重ね合わせてしまうもの

庵野秀明が監督で、「虚構」の象徴と言ったら、思い描くものはひとつしかありませんね。

映画の公開が延期され続けているエヴァンゲリオンです。

eva
早くシン・エヴァンゲリオンを公開してください


庵野秀明は、エヴァンゲリオン公式サイトの中でシンゴジラを作ることについてこのようにメッセージを書いています。
今しか出来ない、今だから出来る、新たな、一度きりの挑戦と思い、引き受ける事にしました。
エヴァではない、新たな作品を自分に取り入れないと先に続かない状態を実感し、引き受ける事にしました。

エヴァゲンゲリオンの世界には、現実のニッポンがありません。

虚構の世界らしきものがあって、その世界は主人公の意志ですぐに変わったり壊れてしまうものです。

そうした世界の描き方は衝撃的であり、社会現象を巻き起こして、「セカイ系」と呼ばれるジャンルまで確立して多くのセカイ系作品を乱立させ、そしてブームは去ってしまいました。

なぜ社会現象にまでなったジャンルがたった20年で過去のものとなってしまったかは、エヴァンゲリオンが作った世界からいまだどの作品も明確な進化が出来ていないからだと、僕は思います。



■エヴァの鏡像としてのゴジラ

本作品で、ゴジラは海から突然現れて、陸に上がって進化を繰り返してまた海に戻っていきます。

海に戻った後は、さらに進化して2倍の大きさになり、東京本土まで一気に上陸するのです。
東京本土にまで来たゴジラの状態をたしか、作品内では第4形態、と言っていたような気がします。

エヴァンゲリオンに例えると、第1形態がTV放映版で‥、

という莫迦な話はしませんが、進化を繰り返して東京にゴジラが近づくと、現実である対策本部のシーンでは何とエヴァンゲリオンの劇中そっくりなテーマが流れ始めます。
というかあのテーマはエヴァンゲリオンそのものです。

エヴァンゲリオンが日本に侵略してきたみたいで、思わず熱くなりました。

そうしてゴジラは東京の中心まで来て、謎の光線を出して自衛隊やアメリカ軍や総理大臣まで破壊してしまい、「このままどうなってしまうんだろう!」という世界中の視線を集めているところで、

なぜか止まります。

そして東京の真ん中で何日も動かなくなってしまうのです。

さんざん暴れたら海に帰っていくというのが我々の知っているゴジラなのに、なぜ東京のど真ん中で動かなくなってしまうのか、よく分かりません。

劇中では、タイムリミットを数日後と決めてゴジラを核爆弾で東京ごと吹き飛ばすなんて話になってます。

ゴジラとしては海に帰るか、東京を壊しつくすのか、近代兵器にやられるのかなど、ふつうはどれかするものだと思うのですが、まったく動かず、近寄るものを反射的に壊していくだけで、何もしません。

このなぜか止まってしまっているゴジラが、公開がさんざん延期しているエヴァンゲリオンの今と重なります。



■私は好きにした。君らも好きにしろ

劇中でゴジラを生み出した張本人のように描かれている牧教授は、「私は好きにした。君らも好きにしろ」というメッセージと、ゴジラに関するデータを残していなくなっています。

「牧教授がゴジラになったんだ」、なんて説もありますが、劇中から分かることは、生み出した張本人のような牧教授はメッセージとデータを残して、その場からいなくなった、ということです。


本作はゴジラ第1作を踏襲しているのですが、第1作ではこの教授的なポジションの人がキーマンとして獅子奮闘してゴジラと戦うのですが、その人がいなくなっちゃったらストーリーとして駄目じゃないですか。

これじゃあまるで、青島刑事のいない「踊る大捜査線」です。

  • 私は好きにした=ヒントだけ残してその場からいなくなった。
  • お前らも好きにしろ=あとは自由にやって。

エヴァの象徴としてゴジラが描かれているなら、エヴァを生み出した張本人のような庵野秀明は現在こういう立ち位置におり、おそらく次の劇場版でも答えを出さずに終える予定なのかもしれません。

牧教授にはこう言ってあげたいですね

「逃げちゃ駄目だ!」

nigechadame


■進化のヒントは無限増殖?

ここまで来ると、ゴジラがどうとかよりも、エヴァという作品が進化できるのか、それともこのまま時代に取り残されるかが気になります。

劇中では、ゴジラはその後、凍結されてしまって、東京の真ん中でオブジェみたいになってしまいました。

最終盤で、凍結されたゴジラを背景にイケメン俳優がまとめ的なことを美人女優と話しているのですが、これが何とも間抜けな絵面で、ゴジラがおもちゃみたいに見えちゃって何とも言えない気持ちになります。

まるで、昭和ゴジラのシェーを見てるみたいな気持ちになりました。

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イケメン俳優は「ゴジラと共存していくしかない」みたいなことを言っているのですが、これも意味不明ですね。
凍結して動かないんだから、普通は海に運んで行って殺しちゃうとかすると思うんですが。

ラストは、ゴジラの尻尾のアップが映し出されます。
それが透明になって骨っぽくなって、中に人っぽいものが蠢いているシーンで終わります。

godzira

劇中で牧教授の残したゴジラの分析データを解析していく中で、「ゴジラは無限増殖が可能なのじゃないか」というセリフがありました。

第1作のゴジラには無限増殖なんて設定はなく、本作でのオリジナルの設定だと思います。何だか唐突です。

おそらくこれが、進化のヒントなのではないでしょうか。

無限増殖と言っても、ポスト・エヴァンゲリオン的な作品のラーゼフォンとかアクエリオンとかいう作品がたくさん生まれる(苦笑)ことではないと思います。

現在の劇場版のエヴァンゲリオンは、物語がループしていてパラレルワールドが展開していると考察されています。

「無限増殖が可能」というキーワードと重なるので、もしかしたら劇場版でエヴァンゲリオンはパラレルワールドの設定により進化できる、と確信したのではないでしょうか。

そうだとしたら、シン・エヴァンゲリオンは今後100年以上は語られ続ける歴史に残る作品になるはずです。

「私は好きにした」っていう投げっぱなしになっていないことを祈るばかりです。。。


■良い作品の定義とは

僕は、良い作品の定義とは、何度も見返すことができる作品だ、と考えています。

もしかしたら庵野秀明は本作でエヴァの象徴としてゴジラを描いていないかもしれませんが、そのように解釈できる、というのが凄いのです。

きっと、本作は見返すたびに発見があり、新しい見方ができるはずです。





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コミック版「100円のコーラを1000円で売る方法」の第3弾です。


第2弾では、ランチェスター戦略を熟知している者同士の戦略シミュレーションという、ビジネス書におけるストーリーはおまけだという既成概念を覆し、ストーリーに意味を持たせて新たなジャンルを作り出しましたが、続編である第3弾はどんな内容なのでしょうか。

■第3弾のテーマはイノベーション

第3弾は、外資系の巨大企業が日本の市場に乗り込んできて、シェアを一気に奪っていくというストーリーです。

その方法が“フリーミアム”とういうビジネスモデル。

「グーグルなんかも検索結果に連動した広告を出して広告主からお金をもらっているからフリーミアムに近いのね」
「ニコニコ動画やエバーノートなどの基本は無料で有料会員になると機能が拡大するのもフリーミアムです」
このビジネスモデルに対抗するために、主人公たちがライバル企業との買収により、新たなビジネスを構築するというストーリーです。

■第2弾にあった、戦略を熟知した者同士の戦いの要素がなくなってしまった

ストーリーは文句なしにおもしろいのですが、フリーミアムという未知の敵に立ち向かう、という流れなので、第1弾のマーケティング理論を学んでいくというビジネス書の基本ストーリーに戻っています。

主人公たちはフリーミアムの理論を分かっていない状態からスタートしています。

ランチェスター戦略を熟知している者同士のランチェスター戦略を用いた戦いという、高度な戦略シミュレーション的な楽しみがなくなってしまったのです。
そのため、書籍としてのおもしろさは第2弾の方が勝ります。


■なぜ、第1弾のストーリー展開に回帰してしまったのか?

与田誠という登場人物が、マーケティングを知り尽くしている人物という立ち位置で描かれているのですが、この人物の立ち位置がポイントです。
  • 第1弾では、与田誠は上司として主人公に立ちはだかる壁のような存在です。
  • 第2弾では、社内の敵対勢力や強力なライバル企業が敵として出てきており、与田誠は主人公の味方のポジションです。
  • 第3弾では、与田誠は主人公の敵対会社に所属し、はっきりとした敵として立ちはだかります。

こうして見てみると、第2弾だけは味方として主人公側に与田誠がいたことにより、高度な戦いが展開されたということです。


強い敵や難題に立ち向かうために未熟な主人公が成長していく、という昔からある基本のストーリーが第1弾と第3弾です。

第2弾は強い敵や難題に対して、それらを熟知した人間と一緒に主人公が戦っていく、というストーリーなのです。

ビジネス書としては第2弾のパターンの作品は珍しく(というか他にあります?)、ストーリーで読ませるビジネス書の新たなストーリージャンルを切り開いたと思います。
それだけに、第3弾で未熟な主人公たちが成長していくという、基本的なストーリーに回帰してしまったのは残念ですね。


ビジネス書以外で、第2弾のような、未熟な主人公の味方に成長しきっているキャラクターがいる作品は、ドラマや映画にもなった甲斐谷忍の漫画「ライアーゲーム」がそれですね。

ライアーゲーム以外だと何でしょう。主人公が成長しきっているのは「デスノート」や「ワンナウツ」とかのパターンなのですが、他にはあまり思い浮かばないですね。

あ、あとは福本伸行の漫画「天」のアカギが味方になった東西戦もこのパターンですね。


■理論を敵味方双方が応用する戦略シミュレーションとしてのビジネス書に期待

漫画でストーリーを読ませるビジネス書は近頃どんどんと新刊が出ていますので、主人公側にビジネスを知り尽くした人間がいて、強い敵と戦っていく、というパターンのストーリーのものが出てきてほしいです。

知識を学ぶだけでなく、敵味方双方が知識を応用した戦いの構図が描ければ、例えばさんざん各社から出し尽くされたドラッカーや孫子の本でも、新たな読者層が開けていくはずです。


100円のコーラを1000円で売る方法(3) [ 永井孝尚 ]
100円のコーラを1000円で売る方法(3) [ 永井孝尚 ]
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コミック版「100円のコーラを1000円で売る方法」の第2弾です。

「コミック版 100円のコーラを1000円で売る方法1」についてはこちらにまとめてます。

第1弾では、マーケティングの入門としてポイントが一通り網羅されておりましたが、第2弾は実践編という感じです。


■ストーリーの根底に流れるのは「ランチェスター戦略」の考え方

僕は過去に、ランチェスター戦略の考え方に出会って感銘を受け、本を読み漁った時期があります。

簡単にまとめると、ランチェスター戦略とは会社の立ち位置を「弱者」と「強者」とに分け、それぞれの立場によって取るべき戦略が変わってくるという理論です。

  • 弱者のとるべき戦い方は差別化戦略

がっぷり4つで戦いに行くと確実に強者が勝つため、差別化できる武器を持ち絞り込まれたニッチなターゲットで戦っていくという方法になります。

  • それに対して強者の取るべき戦い方は同質化戦略(ミート戦略)

弱者が差別化してくる戦略に対して、そこに同じような武器を用意して、差別化させないという戦略です。



本書の何が凄いかというと、今までの書籍はこの理論や企業の例を紹介するだけだったのですが、実際にストーリーの中で弱者と強者としてランチェスター戦略を駆使して勝負を行うという点です。


理論だけをひたすら勉強して妄想していた僕にとっては、血沸き肉躍るような興奮とともに本書を読み進めました。


例えるなら、エアガンの収集が趣味の人間がサバイバルゲーム場に初めて訪れたような興奮がそこにはありました!

(例えが何だかずれている気がしますが気にしないでください)




■同質化戦略を行ってくる強者に弱者は勝てるのか?

ランチェスター戦略を学んでいて気になるのが、双方がランチェスター戦略を知っていたらどうなるのか?ということです。

つまり、強者が差別化戦略に対する同質化戦略をきっちり行なってきた場合に、弱者はどうすればよいのでしょうか。

理論書だと、そこまで深く言及されない点を本書では突き詰めてストーリーにしている点が画期的と言えるのではないでしょうか。

しかも、最後には弱者が強者に勝るのです。
具体的にどうやって強者の同質化戦略に勝っていくのかは本書を見てください。


■マーケティング知識の紹介を超え、戦略シミュレーションへ

ビジネス書はいわゆる、お勉強の為の本であって、知識を求めて読者は手に取ります。

漫画で分かる○○というと、漫画のストーリー部門はビジネス知識を紹介するための為のオマケであって、あってもなくても良いものです。

ですが本書は、マーケティング理論を熟知している者同士のシェア争いというストーリーがメインと言ってもいいクオリティです。
マーケティング戦略を知っている者同士の真剣勝負が展開されているのです。

知識を教えてもらうことを目的とするのでなく、知っている知識を応用してシミュレーションするストーリーが目的になる、
これからのビジネス書にこんなジャンルがぜひ生まれてきてほしいです。

100円のコーラを1000円で売る方法(2) [ 永井孝尚 ]
100円のコーラを1000円で売る方法(2) [ 永井孝尚 ]
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新潮45」にて連載していた、「イマイマイズム見聞録」を再編集して書籍にしたらしいです。

松田聖子ディナーショーや「笑っていいとも! 」観覧など、行こうと思えば行けるし気になるけど行ってない、というような絶妙な27の場所に、著者が突撃する、という内容です。

場所を列挙しますが、選択がけっこう絶妙というか、気になってるけど見たことない、行ったことない場所です。
  • アムウェイ・プラザ東京
  • 豪華客船「飛鳥II」
  • 創価大学 オープンキャンパス
  • 免許停止処分者講習
  • 東京スカイツリー オープン当日
  • 石川遼父の講演会
  • 自費出版説明会
  • 大手メーカー住宅見学会
  • 劇団のシニアコース
  • 長渕剛・日本武道館ライブ
  • ボージョレー・ヌーヴォー解禁パーティ
  • 天皇誕生日一般参賀
  • ひるおび! 」観覧
  • 横須賀軍港クルーズ&防衛大学校見学バスツアー
  • 東大の合格発表
  • シニア海外ボランティア説明会
  • 海洋散骨体験クルーズ
  • 東京電力株主総会
  • ラブドールのショールーム
  • 浅草サンバカーニバル
  • オリンピック招致パブリックビューイング
  • ボートレース平和島
  • 親の代理お見合い
  • 松田聖子ディナーショー
  • 「笑っていいとも! 」観覧
  • 日本一の夢の祭典・みんなの夢AWARD4
  • 裁判傍聴
中身は作者の主観とか感想ベースで進行していきます。

着目点が結構裏の面ベースです。問題点とか、良くないところとか。
通常の書籍だと、無視される面なので、そういった面がバンバン出てくるのは読んでいて爽快です。

笑っていいともの観覧の話なんかは、その視点が絶妙にテレビの裏側が垣間見れたようで面白いです。

入るときに帽子を被っている人「帽子取って!」と抗議口調で告げられる。言い方・・・

スタジオに入るときの描写なんですが、こういった細かいところが記憶に残りますね。

いざいいともの撮影が始まると、各芸能人やスタッフがやる気がなく、

もうもう、作る側出る側、関わる人間全員やる気ゼロ。それが丸見え。

そんな中でも場をそつがなく取り仕切るタモリの凄さに気づかされたり。


この人の視点は、芸能界という夢を売るような場所のレポートだと特に活きますね。
松田聖子の4万8,000円のディナーショーなんかも、必見ですよ。




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本書、100円のコーラを1000円で売る方法は文章版と漫画版が両方出ています。

文章版についてはこちらにまとめてます

中身については、上のリンク見てください。

両方ちゃんと読みましたので、文章版との違いですが
  • ストーリーはほぼ一緒で重要ポイントはしっかり抑えてある
  • 漫画なので読み終わるまでの時間が早い
  • 原作者の永井孝尚氏の解説が各章ごとに追加されている

ざっくりまとめると上記の感じです。


個人的には、この漫画版の方をお薦めいたします。

何故かというと、読み終わるまでの時間が早いためです。


ビジネス書なので、目的は楽しむことではなくて、ビジネスに活かすことです。

そう考えたときに、そこにかける時間というのは結構大事なポイントです。


世の中に有益な本はたくさん出ていますので、内容を理解するまでにかける時間が少なければ、その分さらに別の本を読むことも可能です。


なので、100円のコーラを1000円で売る方法については、得られるものがほぼ同じで短時間で読める漫画版でをお薦めいたします。

よく考えたら、文章版と得られるものが同じな漫画版ってすごいよく出来てますよ。

ちなみに、小説や映画はまた目的が違ってきますので、早く読めばいいってものではないと僕は思います。


100円のコーラを1000円で売る方法 [ 永井孝尚 ]
100円のコーラを1000円で売る方法 [ 永井孝尚 ]
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この本、凄いです。
僕は前職がWEBディレクターだったので、マーケティングについて少しは学んでいたのですが、目から鱗の事例がたくさん出てきます。


内容はストーリー形式で進行していくので、楽しんで読めます。
全10章に分かれていて、それぞれの章でマーケティングの事例について具体的に表現されています。

本のタイトルにもなっている、100円のコーラを1000円で売る方法は第8章です。
このテーマがやはり最も象徴的なのでしょう。

■100円のコーラを1000円で売れるのか?

ここでいうコーラは、ディスカウントストアでも売っている普通のコーラのことです。

1000円で売っている場所は、リッツカールトンのルームサービス。
これ、フィクションでなく実際に売ってます。

部屋でルームサービスに電話すると「15分お待ちください」と言われ、最適な温度に冷やされ、ライムと氷がついた、この上なくおいしい状態で、シルバーの盆に載ったコーラがグラスで運ばれてきた
とのこと。

  • ディスカウントストアで売っているのはコーラという液体そのもの
  • リッツカールトンが売っているのは、心地よい環境で最高のコーラが飲めるという体験

ディスカウントストアでは他でも同じ商品を売っているので顧客は値引きを求めてくる。
リッツカールトンは体験を売っているので顧客は値引きを求めてこない。

マーケティング用語では、前者をプロダクトセリング、後者をバリューセリングと言うようです。

商品ではなく、バリュー(価値)に裏付けされた価格だから1000円でも売れるのですね。
リッツカールトンでは、サービスという見えない価値を売っているということです。顧客はその体験にお金を払うんですね。

良いものを安く、というのは日本では美徳とされていますが、良いものは安くなくてもいいんですよね。逆に安いことで特別感がなくなってしまって売れないという場合もあると思います。
リッツカールトンのルームサービスでコーラが120円で売られていたら、特別な体験という感じがなくなると思いませんか?

コストを徹底的に下げて価格勝負する戦略は、市場リーダーにしかできません。市場リーダーというのは市場の中で1社だけ。世の中のほとんどの企業は本来、価格勝負をしてはいけないんです。



というような形で、マーケティング理論がこれでもかというほど分かりやすく全10章にまとめられています。
巻末に各省ごとの参考文献が載っているのですが、それぞれの章で小難しそうなマーケティングの専門書が2,3冊掲載されています。

これ一冊で、合計2,30冊分のマーケティング理論の要点を分かりやすくまとめてくれているという素晴らしい本です。

ビジネスマンは必読の書です。

100円のコーラを1000円で売る方法 [ 永井孝尚 ]
100円のコーラを1000円で売る方法 [ 永井孝尚 ]

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取り上げておいて何ですが、西原理恵子の表現はどうも苦手なんです。

自分が男なせいなのかもあるかもしれないですが、女性に聞くとみんな好きみたいですね

気になるテーマが多いので何冊か読みましたが、この本は漫画でなくて文章で書かれています。

作者の自伝的内容を、金にかんする部分にフォーカスして表現されています。

内容が想像以上に壮絶です。
父親がギャンブル中毒で家のお金には手を付けて暴れた末に自殺したり。
麻雀やFXで貯金を使い果たしたり、と凄いことになってます。

誰かが、本には心に残る表現が1つだけでもあれば、その本を読んだ意味がある、みたいなことを言っていました。
おそらく、本書には誰が読んでも何かしら心に残る表現が1つは出てくるはずです。

自分が心に残った箇所は、作者が子供時代に母親の再婚をきっかけに、のどかだった田舎町から殺伐とした工業団地の町に引っ越してきた箇所。
母親が怒りっぽくなったり、家の中があっという間にすさんでしまったことに関しての表現です。


お金に余裕がないと、日常のささいなことがぜんぶ衝突のタネになる。食べたり着たりどこかに行ったり、そういう生活のひとつひとつのことにぜんぶお金が関わってくるからね。お金がないと、生活の場面のいちいちでどうしても衝突が避けられない。それも何十万、何百万って話じゃない。何万円、何千円の話で激しいいさかいをする。たったそれぽっちの金額でののしりあう、この情けなさが、わかる?

これ、分かります‥!

もちろんお金持ちだってケンカくらいするだろうけど、カネが「ある」ケンカのほうが「ない」ケンカより、百倍も二百倍もマシ。カネがないケンカは、ののしるほうも、ののしられるほうも、いじましくってやりきれないよ。

金がない時って、本当に人間が小さくなりますよね。

「貧すれば鈍する」という言葉が昔からあるように、人間の真理なのでしょう。

貧乏だった、というのは美談ですが、貧乏でいる、ということは情けないだけです。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 [ 西原理恵子 ]
この世でいちばん大事な「カネ」の話 [ 西原理恵子 ]

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あなたの会社の矢印は、どちらですか?と問いかけてくる本書のテーマは、「会社の矢印」。

「会社には、2つの矢印が存在します。内向きの矢印と、外向きの矢印です。」

お客様やお金が出ていくのではなく、会社に向かってくる状態にすることが良い状態であり、現存する内向きの矢印の会社の例がいくつか出てきます。

会社の矢印を内向きにするためには、ファンを作って会社をブランド化することが必要とのことで、そのための具体的な方法について物凄く分かりやすく書かれています。

マーケティングの本であり、専門用語もたまに出てくるのですが、子供でも分かるような書き方でかなり深いところまで伝えてくれています。

中でも個人的に心に響いた内容としては、
カテゴリーをつくることが「ブランド」への近道 という内容。

アメリカ系の宅配ピザの店がほとんどだったところに、ナポリ系のピザという新カテゴリーを作って成功した例が出てきます。

これは、近頃よく言われる、ブルーオーシャン戦略にも通じるところがありますね。

ですが、ポイントは「探す」のでなく「つくる」という点。

競合の少ないブルーオーシャンを探している企業が多いと思いますが、自らカテゴリーを作ってしまった方が早いんです。

自分で作れば、すぐにナンバー1になれるので、そのカテゴリーでの価格決定権を持てます。
価格を上げることができれば利益に直結します。

マーケティングの基礎から、実は深い部分まで分かりやすく教えてくれる良書です。


だれかに話したくなる小さな会社 [ 浜口隆則 ]
だれかに話したくなる小さな会社 [ 浜口隆則 ]

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