消えるコトバ・消えないコトバ
消えるコトバ・消えないコトバ [単行本(ソフトカバー)]


客観的思考(アウトサイダー思考)と、主観的思考(インサイダー思考)がテーマのエッセイ集です。

エッセイ集なので、中身の薄いものや濃いものなど様々あります。エッセイ集とはそういうものでないかと思うので、その中から自分の心に残るものを探していけばいいのだと思います。

■第四人称

外山滋比古は第四人称 」という書籍も出版しており、そちらでは文法的に第四人称について言及していたましたあ、本書ではさらに分かりやすくなっています。

・第一人称、第二人称、第三人称をまとめてひとつのコンテクスト考える
・その内側では独自の倫理が働く
・コンテクストの外側にも人間がいる。それが第四人称である
・第一から第三人称と第四人称の間には大きな仕切りがある。続いておらず、切れている。

著者はこれを芝居の舞台を例に説明しています。
第一から第三人称は部隊の上で展開され、第四人称は客席の視点です。

内側と外側という視点で考えることにより、分かりやすく説明されています。


■第五人称

第四人称が舞台の上の芝居を客席で見る視点のことだとしたら、
新聞の発行後、何十年もしてからそれを読む人のことを第五人称の読者であると考えられる、と展開されていきます。

第三人称と第四人称ははっきりと区切られているが、第四人称と第五人称はその区切りが明確ではありません。


■文章作品は第五人称でどのように変わるか?


この本では、第四人称と第五人称の存在を定義して、それをどう活かすべきかは、自分で考えなさい、と言わんばかりに何も言及されていません。

そこで少し考えてみたいと思います。

第四人称と第五人称は観客と読者の視点です。
この視点は、内側のコンテクストに介入できないという特徴があります。

文学作品ではコンテクスストの内側で最初から最後まで完了するので、介入できないとその視点を活かすことはできません。

第四人称とは何かというと、コンテクストの仕組みを知っている視点、ではないでしょうか。
つまり、「これは芝居である」と知っている視点です。芝居には、脚本という決められた流れがあります。
第四人称の観客は、「決められた流れ」を知っている者もいます。繰り返し見ている者です。

芝居を繰り返し見ている観客の視点が、コンテクストに介入できるようになれば、

時間をループする作品ですね。
All You Need Is Killが、まさにそれではないでしょうか。

次回はAll You Need Is Killについて書きます。

All You Need Is Kill(1) [ 小畑健 ]
All You Need Is Kill(1) [ 小畑健 ]
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